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小國英雄さんのこと


今はすっかりご無沙汰している<MIXI>に脚本家・小國英雄さんのコミュニティがあるのを見つけて覗いてみた。(2007年2月)

 総勢35人(当時)ということだからコミュニティとしてはごく小さいほうだが、その分映画人である小國さんに対する尊敬と深い思い入れの強いメンバーが揃っているようで、さして映画通でもない自分としては近寄りがたい雰囲気を感じてしまう。 メンバーになって2週間近く過ぎたあたりで、そろそろメッセージを用意せねばーと思っていて、たまたま手元にある資料をめくっていたら、な、なんと今日2月5日が小國さんの命日だった。  なんという偶然!   きっと小國さんがなにか書けと言っておられるのに違いない。  小國さんの思い出は数々あるが、ひとまず96年に亡くなられた後にある雑誌に寄せた追悼文(要約)を中心にしてご紹介し、あらためて小國さんの冥福をお祈りしたい。  「小國さんとの出会い」  (96年2月 記す)  昨年のFさんに続いて、小國さんの訃報に接した。  かねて療養中と聞いていて春になったらお見舞いに行こうと心にきめていただけに、無念な思いがしてならない。  小國さんとは、10年程前に新宿西口の画廊で開かれていた展覧会の会場で「新しき村」の方かから紹介されたのが最初の出会いだったように思う。日本映画にさほど明るくない自分でも、黒澤作品等に多くの名を残すシナリオライター・小國英雄の名はしっかり記憶にあったので、どうしてあの小國さんがここにおられるのかいぶかしく思いながらも、その場はただ深々と会釈するのが精一杯だったのを覚えている。  その小國さんが新しき村の草創期からの会員と知って間もない頃、携わっていた武者小路実篤氏の記念館の運営に日頃心配りいただいていた新しき村のEさんから、『今度小國のところに行くんだけれども一緒にどうかね』とお誘いを受けた。仕事上とはいえ、あの小國さんと今度こそは直接にお目にかかり話が聞けるとあって、近江(滋賀)の百済寺にある小国宅まで同行させていただいた。  お目にかかった小國さんは最初にお会いしたときより小柄に感じられたが、私ごとき親子程も歳が違う初対面の人間にも対等に話をされ、その上まるで少年時代そのままの純粋な心を持ち続けておられるようで、それまで描いていたイメージは打ち砕かれてしまった。ときにはいたずらっぽく、あるときは涙ぐんで話される話術に引き込まれ、その日はおいとまするタイミングが図りかねる程だった。  二度目のときは単独行で、仕事の話をさっさと済ませると、待ち切れないように、黒沢(・・と呼び捨てにされていた)さんや先生(小國さんは実篤氏のことをこう呼ぶ)、村の話や映画の話に花が咲きとどまるところを知らず、例によって話はとても面白かったのだが、奥様の気配りで頃合いを見計らいようやく退出することにした。   その日は近くのホテルに宿をとっていただき、夕食は小國さんのおごりで近江牛のすき焼きを一緒にごちそうになった。別れ際に、今夜は退屈だろうからーと、ご自身が書かれたシナリオの原本を貸していただいた。正確なタイトルは失念したが、<馬と話をする男>を描いたユニークな物語で、退屈どころか面白くて一気に読み終えた。翌日またお会いすることになっていて、感想などをお話ししたら、このシナリオは自分でも気に入っている「本」なので誰か使ってくれる人はいないもんかねーと真顔で話をされていたのが今も印象に残っている。  その後も何度か上京された折にお目にかかる機会があったが、会う毎に小さくなっていかれたように思われ、気がかりだった・・・。  あのとき百済寺に同行させていただいたEさんも、今は故人となられた。  強靭な個性と厚い友情に支えられた小國さんこそ、映画人であるとともに真の「新しき村」の人であったことをつくづく感じさせられる今日この頃である。  その小國さんはいま、実篤氏ご夫妻とともに埼玉にある新しき村の「大愛堂」に納骨されている。  新しき村でもそろそろ梅が見頃を迎える頃でしょう。  小國さん、ゆっくりお休みください。  合掌


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